「やがて君になる」6話 演出および所感
やがて君になる、の6話の演出および脚本などの意図を汲み取る個人的な考察です。冗長な部分もあるかと思いますが流し見程度に。
考察を書くにあたり、
こちらの記事があることは確認してから書いています。被る点が多々あるかと思いますがご容赦ください。
圧倒的に知識量が足りないので,過去作品との類似,比較等は各々で検索してくださると幸いです。
奇抜な見方も作画的指摘もできてないです。自分がどこに惹かれたのかを書きました。
それでは行きましょう。本編のみ触れます。
アバン
扉を画面一杯に配置,動作に伴い綺麗に半分に分割します。導入としてこれ以上ないほど自然な画。この後でも物による分割は多用されます。
このカットではやはり窓枠を用いて左右に空間を分割、燈子の周囲との心理的隔たりを表現しています。その後OPに突入。
Aパート
文化祭の脚本
佐伯「このまま見つからなければ,既存の話をアレンジするってところかなぁ」
燈子「せっかくだからオリジナルでやりたいけどな〜」
佐伯さんは正面,つまり燈子の方向を向いてこの発言をしているので,既存の話をアレンジ,の文脈には姉と同じであろうとする燈子を示唆していると想像できます。その後佐伯さんは正面をずっと見ています(基本的に燈子をガン見している)。
これに応えての,せっかくだからオリジナルでやりたい,というのは燈子自身でありたい,けれど実現できそうにない,という本心から来るものですね。あくまで示唆。
(本人達にその意図は無いとは思いますが、作者に文学的に狙って書かれた台詞かな、と)
自販機前
佐伯さんと侑の会話の中で,奥から佐伯さんが侑に近づき,横向きカットが入ります。
ここで佐伯さんが上に描かれているのは先輩後輩の上下関係もありますが,この状況下での精神的,知識的優位にいるからであり,圧のあるカットになっています。
生徒会資料を探していて先生が来るシーン
窓枠と太い柱を用いることでここでも空間が分割されています。ここでの二人の間の厚い壁は7年前を知っているかどうかでしょう。実際7年前を知ったBパートにおいては壁の描写はありません。
先生との会話
先生が眼鏡を拭いて掛け直す時に眼鏡を通して侑を見るカットを含むシーンです。
ここで眼鏡の中に侑を見る意義を考えたときに、「色眼鏡で見る」とまで言わないにしても、何らかのフィルターを通して事実とは異なるものを周囲は見ているのだと。
自分たちを見ている人間の代表である先生が,七海燈子が七海澪そっくりだと言っていることがそれを実証している,ということを表しているのかなと思いました。
前半サブタイは「言葉は閉じ込めて」言わずとも侑視点。
Bパート
河川敷
影による表現がとても豊かな場面です。
二人の顔を斜めに切る影,仮面を思わせます。
また,「お姉さんみたいになりたいんですよね」と指摘された瞬間燈子の後ろが明るく,風が吹きます。その後侑の顔を経て元に戻ります。燈子の一瞬の心の揺らぎが表現されています。
飛び石を歩く
燈子の後髪→脚→後髪→脚の切り替えを経ることで,脚越しのボカシの入った侑との距離感が強調されています。
侑の歩み寄りからの拒絶
侑が話している時点から振り返るまでの表情の機微は見えず,悲壮を含んだ微笑みだけ.電車の通過音ではっきりと拒絶するこの演出はわかりやすく目玉です。
姉への思い
姉の死で周囲から求められる,姉と同じ様な振舞いは自我の隠れをもたらし,画面上では水面下で表現されています。
水上での発言の「君の前でただの私に戻るのは居心地がいい」,「心配してくれているのはわかるよ」,「でも劇はやるよ,小糸さんが付いてきてくれなくても」
これらは燈子の意思,決意であろうと思われます。
侑が石に躓く
石に躓き.踏みとどまった侑の左足は燈子と自身との壁となります。
その後再び橋の柱が二人の間に厚く立ち,距離感を大きくさせます。
川を挟んで
他作品においても川というものは物理的距離以上に,心理的に断ち切る表現でよく用いられます。
侑の「私はどっちの先輩のことも好きにはならない,これまでも,これからも.
先輩のこと,好きにならないよ」は結果的に燈子を引き止めました。ここでの侑の心境はその後の手を繋いでの時の感情の機微とさして変わらないでしょう。
手を繋いで(侑視点)
このシーンはのちのCパートとほぼ同じで(ライティングのタイミングの違い),視点の違いから意味合いが異なってくるところです。
街灯が,手を繋ぎ歩く二人を照らし,「君はそのままでいてね」に対して
照らされた状態で「私は変わりたい」(以前から変わりたいというのは本心)
街灯の明かりが離れる瞬間で「はい」と応え,(段々と断言できなくなって混濁)
暗くなってから「なのに,嘘を付いたのは,きっと私も寂しいからだ」(言えない嘘)
と締めて特殊EDに入ります。
Cパート
手を繋いで(燈子視点)
「侑,好きだよ」に対して「ありがとうございます」と応える侑に対してライティングすることで燈子側を相対的に陰とし,「これは束縛する言葉」と一歩引いて語る。
「君はそのままでいてね」といい,こちらではBパートとは違いライティングが解けるまで描写,明確に燈子側を陰として,「どうか侑.私を好きにならないで」と締めて6話を終了します。後半サブタイは「言葉で閉じ込めて」もちろん燈子視点。
感想
6話自体の感想としては,中だるみしがちな6話でこれを出してきたことに素直に感心しました.
口に出すこと,出さないこと,出せないことが,うまく噛み合って,また噛み合わなくて,見ていて惹きこまれました。しんどすぎて疲れた。
個人的に河川敷シーンよりも最後の手を繋いで散歩のED挟んでの対比が目玉かなって思いましたね…完全に同じかと思いきや…っていう。セリフに意識持ってかれがちですが画に注目するのもまた楽しいですよ。
関係性が整理されたところで後半に向けて勢いを増して行きそうな,やがて君になる,
この記事を書いている間に7話が出たそうで完全に記事としては旬を逃しています。
良作だよこれは…最終回を迎えた後原作を読もうと思ってます。
追記 6巻まで,読みました。
演出脚本を想像した感想としてはとても楽しく難しかったです。見ていてなんか印象に残るなって思ったシーンで自分の考察がしっくりくれば幸いですが…どうでしょうか。
具体的にスタッフの演出等での類似作品を提示できないことは申し訳ない。
初めての試みだったので読みづらい部分などあるかと思いますが…これからも琴線にふれた作品にはやっていきたいです。
見返したらやっぱりパンナコッタ様と同様な考察をするに至っていたので演出として良い作品だったのだろう…作監仁井さんだったんだなってスタッフ打ち込んでて気づきました。製作陣各位お疲れ様です。
スタッフ
脚本…花田十輝
絵コンテ…あおきえい
演出…渡部周
作画監督…仁井学