駄文置

日記とか諸々.

漫画「妹の姉」にモヤったのでいろんな意見を集めてみました、を読んだらモヤったので自分の感想を書きました

togetter.com

 

 

 

はじめに

本当にこんなことをしている場合ではないが休憩時間にこのまとめを見てしまってどこかに吐き出さないと気持ち悪くてしょうがないので書きます。乱文。 

あらすじ

作品のあらすじとしては

  • 姉妹のうちの妹が姉の裸を絵として想像で描いて賞を貰い学校に展示される
  • 妹は姉の姿を見て同じ学校に入ることを決め、特待生で入った
  • 姉は妹のことを(自分よりも優れていると思ってしまうから)見ないようにしていたから妹のことが描けない
  • だから自分の裸を描いて妹に想像ではなく良く見て描けと、姉として教えた。
  • 余談で姉の家に妹は結局住み着き、姉妹は離れられないものだった END。

 

弾劾対象

作品をしっかり読んで登場人物がいい意味で狂っていることを理解した上での批評はなるほど、と思えるのだけれど、それが見られないものが見えたので適当に抜き出して弾劾したい。

 

 

 

この手の作品に必ず、「こういう女の体を〜〜」とかいう人間いますよね。正直そっちの方が気持ち悪いですけど。ご苦労様です。

 

フィクションなわけで、ある程度現実と異なることはやはり許容すべきであることを改めて言っておきたいし、これが女性の権利云々を度外視した主張とは相容れないものだとそろそろ理解してほしい。

これは理想論である。理想であるために理想論が通るフィクション。

 

 

周りの人間

さて、

  • 周囲の人間が「裸の人だ!」と言って囃し立てる表現
  • 親や親戚が写真を撮りに来る

などという点を問題だと書いているブログがどっかに落ちていたけども

その表現は現実での美術に対して本気ではない人間の「普通の反応」であり、学校環境における「そこまで本気じゃない層」そのものを表している。

 

興味本位で周囲の人間は裸の人間が居たら奇異の目で見るし、親戚のセクハラおじさんはゲスな笑いを浮かべる。想像つくでしょ。それが普通。

(おじさんを許容していいかどうかは現実の話で物語とは無関係)

普通の人間であり、姉もその一人になっていた。

 

「美術」というもの対するスタンス

話変わるが、裸婦像デッサンにいちいち恥ずかしがる人がいるだろうか?初めの頃の美術学校生はそうかもしれないがいずれ慣れるだろう、それが美術という文化なのだから。

ルーヴル美術館でミロのヴィーナスを見て恥ずかしがる人間がいるだろうか?せいぜい中学生の思春期程度まででそれ以降は美しいなぁ…などと感想を抱き慣れるだろう、それが美術という文化なのだから。

 

人間はモノを美術と認定した時点でそれに恥を抱くことは無くなっていく。美術に対して真摯である程に。

 

話戻して

主人公は漫画の最初では自分の裸像を見て恥ずかしがり、屈辱だと言い、その絵を描いた妹に対して「変態なんでしょ」と言った。

この時までは姉も「普通」の人間だったわけだ。

 

練習場面

姉が自分より優れている妹との力量差を埋めるために練習して、追いついて伝えるという描写ではない。と思う。それなら描写が少なすぎる。

 

これは 

美術を志していた頃の、目標とされていた頃の「妹の姉」という存在にもう一度なろうとしている転換である。

画力を向上させて追いつくのではなく、就職を決め、美術から離れた分を取り戻すために練習して、自分の裸を描いたのである。

 

おまけ

学校の対応が不親切だという意見もあるが、同様に美術を真剣にやっている閉鎖空間でなら許される伝統だと思う。事実、教師が裸体についてバカにしている表現は一つもなかった。そもそもそういう環境であるべきだという風刺も含まれていそう。

 

 

最後に言うまでもないが、最後に姉が自分の裸像を描いたのは妹を見ていなかったからだけではない。

妹よりも誰よりも知っている「姉」の裸という絶対的有利な被写体を、目で見て描くという精一杯の姉らしさである。

 

 

感想

よくできた話だと改めて思った。

男同士でも展開変わらないと思うが。

読む側が真摯ではないから影響を受けてしまう可能性を考えて表現を自粛しよう、という考えは、わからなくもないが

それは表現の萎縮を招くというのは分かってのことなのだろうか…

フィクションに茶々入れる人間は往往にしてフィクションに対して初めから無礼なのだということに気づいてくれ。初めから批判するつもりで読んでるだろ。

モノを作れる人間をこれ以上萎縮させないでほしい。それだけですごいのだから。